高崎市のピアノ教室なら-諏訪部音楽教室

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先生の想い

ピアノの先生と聞くと、幼い頃から厳しいレッスンに耐え、家庭ではお母さんが横について練習させられ、毎日の課題が終わるまでは許してくれなかった、という子供時代を想像しますよね。
事実、音大時代の友人はそういう子供時代を送ったようです。photo03
でも私はそんなエリートではありません。普通に育った私の音楽遍歴が、お読み下さる方にとって何かのヒントになれば幸いと思い、ここにお披露目します。

S先生との出会い

私がピアノのレッスンを始めたのは年長の頃でした。師事したのは実力をお持ちの先生だったそうで、ご夫婦でレッスンしていらっしゃいました。
小学校に上がって間もなくの頃、たまたま私の前にレッスンを受けていたクラスメイトが叱られ、手を叩かれていたのを目撃してしまいました。
先生が叱るには理由があったに違いないのですが、私は自分から言い出して、その教室を辞めました。
先生には引き留められましたが、頑として譲らず、先生を代わることになりました。
しかしその先生は御結婚の為、また次の先生は演奏活動の為、レッスンして頂けなくなりました。
そしてやっと四人目で私をここまで導いて下さったS先生に出会いました。
S先生にはピアノの楽しさを教えて頂きました。本当に感謝しています。

母は家事をしながら私の弾くピアノを聴いていた

お世話になった先生方は徒歩5分圏内だったので、レッスンには一人で通い、練習も一人でしました。
友人は4歳から一人で通い、やはり一人で練習したそうです。昔は今のように物騒ではなかったですし、一人一人に手を掛けていなかったのではないかと思います。
ただ親が無関心だったかというとそうでもなく、母は家事をしながら私の弾くピアノを聴いていたと思います。
「同じ所ばっかり弾いてるじゃない。」と言われ、「だって練習してるんだもん。」と口答えした事がありましたから・・・。
練習してなければ先生の前で恥ずかしい思いをする、練習すれば上手に弾けて嬉しいのだからと、レッスンも練習も全て本人任せでした。従って時々耳にする練習にまつわる親子バトルというものは経験がありません。

音楽の先生に音楽を聴く事の楽しさを教わった

小2の時に、親友に出会い、遊び方が似ていたので良く行き来し、レッスンの進度を競い合ったものでした。
まだまだ音楽の意味・楽しさは分かっておらず、早く進む事、速く弾く事が私達の最重要課題でした。
小5・6年の時には、授業が教科担任制となり、当時二年間お世話になった音楽の先生に音楽を聴く事の楽しさ・アンサンブルの楽しさを教えて頂きました。
音楽クラブでの合奏は毎回楽しみでした。先生は私達を大人として扱って下さり、小2の頃からの親友とも一緒にコンサートに行ったり、テレビでクラシックの音楽番組を観たり、やっと音楽の醍醐味を味わい始めました。
当時はダウンロードはおろかCDさえもなかった時代でしたから、親に名曲全集などという名前の付いたLPレコードを買って貰い、一人で聴いていました。

吹奏楽に夢中の中学時代

音大時代
中学生になると、迷わず吹奏楽部に入りました。夏休みとなれば練習は朝から夕暮れまでで、当時はご近所に配慮して、冷房設備もない音楽室の窓を締め切って練習したものでした。
仲間と一つの作品を作り上げるという吹奏楽の魅力にはまり、今年こそは関東大会に、と頑張った年のコンクールで銀賞に終わった時には、皆と悔し涙を流しました。
この時同じパートで吹奏楽に熱中した親友とも今でも親しくしており、バレエ・ダンサーになられた娘さんは小学生の頃、諏訪部音楽教室に通ってくれました。

ピアノのレッスンは勿論続けていました。
譜読みが出来て、曲の細部を先生と作り上げて行くのが面白く、先生には時間を超過して見て頂いたと思います。
良いコンサートを薦めて下さったり、練習している曲の演奏を色々なピアニストの録音で聴かせてくださいました。
ピアニストの演奏を聴いた後で自分が弾くのは嫌で仕方ありませんでしたが・・・

クラシック以外の音楽にも熱中

中学時代は皆誰でも色々な事が変化する時期だと思いますが、私も友人の影響を受け、小さいながらも新しい世界を知りました。
一年生の頃から一緒に夏期講習会・冬期講習会に参加していた友人は、それまでクラシックしか聴いてはいけない、弾いてはいけない、と思っていた私にそれ以外の音楽を教えてくれました。
カーペンターズなど、今ではセミクラシックとも言える音楽ですが、楽器店に足を運んで、先生には内緒で楽譜を買って弾くことに、後ろめたくも熱中するだけの魅力を感じていました。

高校受験の為、中3の途中でレッスンは中断しましたが、寸暇を惜しんで勉強するという絵に描いたような受験生だった訳ではなく、毎日1時間程はピアノを弾いていました。
今思うとそれは受験というストレスからの逃避だったのかもしれません。
でもピアノがあったからその時期を乗り切れたのではないかと思います。レッスンを中断する必要はなかったのですね。

音大を目指す

音大時代第一志望の高校へ無事に合格し、レッスンを再開しました。
吹奏楽も続けましたが、当時母校に存在したのは同好会にも昇格できない吹奏楽愛好会だけでした。
中学で吹奏楽に打ち込んだ親友と一緒に活動しましたが、部室も持たない愛好会では大編成の合奏ができるはずもなく、親友を残し、私は一人で楽しめるピアノに戻って行きました。
この選択をした事が今の私に繋がっています。結局音大を目指し、現在に至っているのですから。

ピアノの魅力

ピアノの魅力とは何でしょうか。

  • 言葉の制約を受けることなく、音のイメージを膨らませることができる。
  • 言葉では表せない心の揺らめきを表現できる。
  • たった一人でオーケストラに匹敵する程の音響で演奏することができる。
  • 一台でメロディーもハーモニーを、また何本ものメロディーを同時に奏でることができる。

猫が歩いても同じ音がする、と言われたピアノ。でも本当は弾き方によって鳴らせる音は違ってくるのです。

私は今、ピアノで音楽の楽しさをお伝えする仕事を選んでいます。
一人でも多くの方にピアノを生涯の友として頂き、ピアノを通じて音楽を楽しむことで、生活に潤いを感じて頂きたいと思って頂きたいからです。
子ども達には美しいものに触れ、楽しい事を経験する事で、自分を取り巻く全てを大切に思える感性を養って欲しいと願っているからです。

誰にもいつか教室を卒業する時が訪れますが、その後もピアノが生徒の皆さんの生きる力となれば、こんなに嬉しいことはありません。

諏訪部音楽教室
高崎市吉井町吉井21-2